青ペンギンの日記

i46bは基本的に漫画や小説のレビューをします。時として思索した跡を残していくと思います。

過去を思い出として掘り起こす【感想】すずめの戸締り

 『すずめの戸締り』を11/27に見た。

雑感

 映画体験としてはとても楽しかった。勢いで見れる(というか勢いでしか見れない)ものだったうえに、音楽や美麗な背景美術がすばらしく、気持ちよかった。
 TwitterのTLには災害だの天皇制といったものがどうこうと言った話が流れてきていた。しかし、ここをフックに読めるのも確かだが、あまりにもデカい釣り針にひっかかっているに過ぎないような気もする。
 特に災害、つまりは震災については、日記で主人公が3.11の直接的な被害者であるという描写が示されているのは、安易だなと感じた。震災を描くだけにしても、ここまで直に現実の出来事と結びつける必要もないだろと感じた。
 天皇制もたぶん要石の話とか、皇居の地下のデカい空間とか、あとは右大臣左大臣が東西逆なところとかで仄めかされているだけで、作品全体でそのテーマに取り組んでいるわけじゃないだろうなと感じたし、粗雑だろ。

 

 というか、作品全体で眺めてみても雑なところは各所に見当たる。
 導入ではとにかく主人公がとにかく「これはなにこれはなに」と口々に疑問するから、イライラするし、ちょっと無理を通してでも視聴者の気持ちに寄り添おうとする。過剰だ。
 次にロードムービーなところ。
 この部分に関しては、各地に行っては人と出会って助けられてミミズを止めるってなるのは筋が通っている。が、人と出会って助けられるところの描写が粗雑としか言い様がない。序盤から尺が足りないんじゃないかと考えたりするほどだ。
 アニメ映画で2時間ほどの長さは標準的だと思うが、しかし、さまざまなことをやろうとして詰め込んだ印象を受ける。

 

 あと、新海映画に求めているものって、RADの曲で絶頂してしまう体験だったんだが、それもあまりなくて寂しい思いをした。

 

考えていたこと

思い出の供養

 ちょっと他の映画の話になるが、『雨を告げる漂流団地』って作品が今年のアニメ映画にあって、その作品の話は「過去を過去として放っておくんじゃなくて、思い出として残して忘れておかないでね」って話でもあった。この作品も似たラインとして考えられそうだ。
 これは自分自身の周りが過去を褒める人が多いのもあって、忘れてしまったものを思い出として掘り起こして形にする、価値付けるってのをやろういう風向きが強い。そういうラインとして忘れてしまったものを宝物にしたいってのを感じる。

 というわけでそういう要素を考えてみたいなぁって。

この作品における思い出とか過去とか

 この作品の設定として、災害が起きるのは人々が過去を忘れてしまい、思い=重いがなくなってしまったってのがある。
 そういう設定の上に、思い出を閉じ師が供養して重しとするってのがある。

 そういう流れが作品全体を貫いている。
 締めるべき戸はすべて廃墟にある。それは忘れられたものであり、思い出に変換されていないからだ。その場で思い出として掘り起こす。

 思い出というのは良い思い出だけでなく、悪い思い出も含んでいるはずだ。しかしそこら辺は仄めかすに留めてあり、直接描かれていない。
 主人公には震災がトラウマになっている面があるが、それは放っておいてあり、廃墟を綺麗なものと受け止めていない節がある。が、覚えているだけでも、風化してない過去である。

 映画の最後で主人公が子供椅子を未来の自分から子供だった自分へと渡す。それは子供椅子を大事にすると言ったのに忘れてしまった自分自身への贈り物である。

 と同時に、過去ばかりに囚われずに未来も向けって話をする。
 思い出をテーマとする作品は締めに、思い出として形にしたら思い出として記憶の中に入れといて、未来を向くってのは定番である。その形式がこの作品にも取り入れられている。

エロゲという過去を思い出とする

 この作品の中にはKey作品『AIR』の要素が散見される*1

 『AIR』のSUMMER編要素として、誰かが自己犠牲精神を発揮するところが。これは正直弱いかな。
 AIR編的な要素としてはいろいろある。一つに主人公が叔母に育てられたっていうところ。AIR観鈴と重ねて考えてみると、幼少期に母親を亡くし、叔母に育てられるというのがある。また作品の途中まで叔母は出てこず、合流するってのがある。
 もう一つに無能な椅子がある。草太さんは椅子になって無能な感じになる。ダイジンなるネコを追い掛けるしかできていない。『AIR』はAIR編になって往人さんがカラスになってしまい、完全に無能になるって話がある。これと同型だ。

 このようなAIR要素を多く含むってのを偶然とは考えられない。というかそういうことにしたい。
 この物語はただ、普段やってる物語の中心にくる男と女を逆にしているってだけで、シナリオ自体はエロゲ的だ。ロードムービーのところも、やっぱり○○編と区切って考えられるし、そういうものな気がする。
 そういうエロゲ的な要素を、思い出として供養するってのをテーマにした映画で取り込んでいるから、すでに記号と化したエロゲを具体として掘り起こして思い出とし、自分の物語という形にして、仕切り直すってのが作品でやっている意図としても感じられた。

まとめ

 新海誠の集大成として売り出された作品である本作だが、こういった冷たくなった過去を温かみのある思い出にするって要素からも本格的に次のステージへと進めるために仕切り直しをしたいんだな、と。
 ただ、そういったことをするにしてもいろいろなものを詰め込みすぎだし、雑な造りになってしまっている。

 が、やはり一本の筋は通っているし、語りたいように語れてしまうだけのことをしているので、すごい作品だなぁ、と。

 『君の名は。』を初めてみたのは中学3年のときだった。あのときのエンタメ的な完成度に対する衝撃に打たれてしまった。ただ、今回のは繰り返し見たいものでもないなって。
 一度だけの映像体験としては上質なものだっただけに、もっと突き抜けたものが欲しかった。

*1:この話は友人のちろきしんが発狂していたので気付けたことだ