青ペンギンの日記

i46bは基本的に漫画や小説のレビューをします。時として思索した跡を残していくと思います。

【感想】砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない

書店に寄ったときに、イラストレーターの白身魚先生が装画を描いている本を見かけた。それが『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』だった。どうやら特殊カバーらしい。いつかは読みたいと思っていた本なので、これを期に読んでみることにした。

 

 

山田なぎさが通っている中学校に、歌手の娘の海野藻屑が転校してきた。自分のことを人魚とのたまい、大きなミネラルウォーターばかり飲む彼女をクラスの人は珍しがったが、なぎさは興味のないように振る舞った。彼女に構ったところで自分の生活が豊かになるのだろうか?彼女の言うところの実弾主義で過ごしていたところ、藻屑の方から執拗に追い掛けられるようになってしまった。これは、なぎさと藻屑が出会い、死別するまでの物語。

 

 

なぎさの実弾主義はシングルマザーの家庭で、兄が引き込もりという過酷な状況に由来する。彼女がこの先長く家族と共に生き抜くために、そのような選択をしたのだ。中学卒業後に自衛隊に所属しようと考えるほどに、彼女は徹底して実弾のように生きようとする。

一方で藻屑は、砂糖菓子の弾丸のような生き方をしている(と作品内で言われている)。父に虐待されているにもかかわらず、それを愛情表現と言い張る。体にできた痣や、聞こえなくなった耳、足を引きずる動作を、自分が人魚と言うことで取り繕おうとする。自身により害が及ぼされようとも、甘くコーティングしようとするのだ。

 

ところで他に出てくる主要キャラクターたちを、この実弾と砂糖菓子の数直線上で表わせるだろうか。

たとえばなぎさの兄、友彦は節々から砂糖菓子側の人間のように思われる。たとえば「貴族」のようなという描写。引き込もりであること。しかしながら現実をそれとなく向き合っており、実弾的な側面を持っている。彼は2つの要素を持ち合わせながらも、そのどちらにも振り切れていない。最終的に砂糖菓子要素が抜けてしまい、自衛隊になるところから、本質的には実弾主義側であるが、今はどうしようもない理由で砂糖菓子側の人間であると考えられる。

次に、藻屑のことが好きな花名島正太。彼の描写は少なく、どちらとも取れない。一般人サイドに普通なら位置付けられるだろう。しかしながら、全体として砂糖菓子が「特殊」っぽく描かれる印象から、普通な彼は実弾に近いと予想される。

最後に藻屑の父、海野雅愛。彼は精神的に病んでいることが伺える。現実を直視しきれずに、自分のためだけの論理をしたてあげて横暴に振る舞う。実弾のような砂糖菓子を周囲に撃っている。

 

強引だが、実弾と砂糖菓子の二項対立を用いて、これらのキャラクターを位置付けてみた。

 

実弾を秩序だったもの、砂糖菓子をはカオス的なものとして考えてみると、この作品からは砂糖菓子でが実弾によって抑えられてしまう現実を感じる。藻屑は死に、雅愛はその殺害で逮捕され、兄の友彦は自衛隊に入隊した。最後には世に適った形に落ち着いてしまうのだ。
しかしながら、藻屑の死に感じる大きな喪失は何だろうか。彼女は役に立たないようなことばかりしていたが、そうしなければ生きれなかったのだ。彼女が父親に愛情を感じていたのは確かだろう。その生活が、最後には自分の死に繋がるとしても彼女は、フィクションで取り繕い続けたのだ。

 

実弾は、その内的な性質が故に社会適合をうながす。だからといって、なぎさのように過剰なまで徹底するのには薄ら寒さを感じる。結末で、兄が働き、なぎさが高校に通えるようになった、収まるところに収まった現実を見て、藻屑がいなくなってしまった穴を間接的に感じる心はなんだろうか。

 

混沌としたものに押し潰されたように映る、主人公の姿にカタルシスを感じるのはなぜだろうか。

 

否応もなく現実は理性を要求してくる。段々と昔持っていた感性は擦り切れていく。その擦り切れていく、言い様のない感覚を、この作品は丁寧になぞって刺激する。それは、もう失いつつある何かを思い出させてくれる。どこか懐かしさを伴った感動が読了後に残った。